4月初めの仏沼、寒さがようやく緩み始めても湿原は依然静寂の中にあります。昨年伸びきった枯れヨシが風に揺れ、サラサラとした音だけが辺りを占めます。けれども耳を澄ますと、確かに鳥たちの春の息吹を感じることができるでしょう。遠くから聞こえるヒバリの声高い囀り、北方のシベリアへ帰る途中のカモたちの羽音、そして「ボォーボォーボォー」と鳴り響く重低音。仏沼の主役たちはというと、その多くは未だ南から帰って来ていません。彼らの渡来は毎年4月末、ちょうど桜が咲く今頃です。けれども、いち早く鳴き出すその重低音の巨鳥は、既にヨシ原の中に潜んでいるのです。正体は「サンカノゴイ」という名のサギ。全長70cmとトビよりも大きく、全身褐色に細かいまだら模様で飾られています。分布は西欧からロシア南部を経て日本までと幅広く、広大なヨシ原に隠れ住んでいます。数が少ない鳥ですがイギリスなどでは馴染みがあるようで、かの探偵小説シャーロック・ホームズにも登場します(バスカヴィル家の犬)。和名の「サンカノゴイ」、カタカナ表記だと意味不明の不思議な名前ですが、漢字で「山家五位」と表すと、その意味が少し分かり易くなります。山家とは文字通り山野にいるという意味。では「五位」とは何でしょうか。日本にいるサギ類は2系統に大きく分かれます。一つは、首と脚が長く全身が白い、ツル体形のシラサギ類。サギといえばこちらのイメージでしょう、初夏の水田でよく見かけます。もう一方は、首は長いが短足で、少しぽっちゃり体形のゴイサギ類。サギの中では小さい方で、普段はあまり目立ちません。ゴイサギは漢字で「五位鷺」と書き、平安時代に醍醐天皇から従五位の称号を授けられ、この名になったと言われています。サンカノゴイは「山野にいるゴイサギみたいなサギ」という意味です。彼らの暮らしは謎に満ちています。図体はでかい癖に、その模様と合わせて隠れることが上手く、声は聞こえるけれども姿を見ることは大変難しい鳥です。ほぼ毎日のように1日中仏沼湿原にいる私でも、姿を目にするのは月に1回ほど。仏沼湿原は何羽もの巨鳥をその懐に隠しているのです。
(デーリー東北 2008年5月2日掲載)